旅犬

たびわんこ

愛犬を亡くして想うこと

今日は、初代の愛犬くまんさんが
15歳10か月で亡くなった日です。



「柴犬を飼う」ということに
小学一年生のころから憧れていた私2号が、
社会人になってある程度、
自由な生活と少しのお金を手に入れて
やっと実現した夢でした。

ずっと生き物好きで、
いろんなペットを飼ってきましたが、
犬ははじめて。

賃貸の新居で買うのを許されたサイズが
8kg以下だったので、
柴犬ではなく当時珍しかった豆柴を探して、
出会ったのがくまんさんです。

はじめて犬舎に見学に行ったそのとき、
同じケージに入れられた他の子犬たちを
踏み台にして、我先にとケージをよじ登り
こちらを睨み返してきたんだよなぁ…。

「この子は生まれた時から体が小さくて
初乳が自力で飲めなかったので
もうダメかと思ったんですが、
今じゃ子犬のボスですよ」
と、育てたブリーダーさんにも苦笑され。

「かわいい子が良ければこの子、
おもしろい子が良ければこの子」と
推された結果、つい
おもしろい方を選んでしまいました。
(決して抗えない関西人の血…!)

 

まだ生後4か月のくまんさん
どう見ても子犬の目つきではない


そこから約16年、当時は過労死上等の
職場で必死に生き残ろうとする飼い主を
くまんさんは
(きっと内心ため息をつきながら)
見守ってくれていました。

転職で関西から東京に移ったときも
もちろん一緒。

社畜の飼い主にせっかくできた恋人も
唸ったり無視することで追い返し、
私が急病で死にかけたときも
119番のボタンに
指を掛けながら寝込む私に
ぴったりくっついていてくれて。

1号と結婚したのも、くまんさんが
最初で最後になついた相手だったから。
1号もそんなくまんさんを溺愛し、
付き合いたての恋人のように
べったりでした。
(きっと1号は、くまんさんと結婚した
と思ってるはず)

とてもしっかり者で
「たんぱく質は自分で摂る」とばかりに
日ごろから昆虫食を楽しんでいたほど
食いしん坊なくまんさんでしたが、
15歳を過ぎたころから徐々に食欲が減り、
痩せていきました。


複数の病院で診てもらっても、
腎臓の機能低下以外はどこも異常がなく、
「高齢なので」ということに。

それでもお出かけすると元気になるので、
合間を見ては連れ出すようにして、
今後の介護がしやすいよう
郊外の戸建てに引っ越すことを決意。

そして引っ越して間もなく
箱根旅行から帰った翌々日。
くまんさんの眠る時間が長くなり、
腎臓の数値も悪化したので
昔からかわいがってもらっていた
引越し前のかかりつけ病院に
入院させることにしました。

しかしついに血管も弱り、
点滴が入らなくなったと聞いた夜、
くまんさんが夢の中に出てきたのです。

ただ、姿は今のようなハスキー風ではなく
小さな黒柴の子犬になって、
新居の前に座っていました。

まるで
『もう今の体では帰らないからね。
別の犬になって還るよ』と
告げに来たかのように。

その夢から覚めた時私は
「すぐ引き取ろう」と決意したのですが、
病院に向かう準備をしているとき、
くまんさん危篤の知らせが入ったのです。

結局、くまんさんは病院の開院前に、
私たちが到着するのも待たずに、
虹の橋の向こうへ旅立ってしまいました。

昔から彼女は、お腹を下して
玄関でトイレを失敗した後などは
粗相の上に私のハイヒールを重ねて
隠したりして、
気まずいことは見せたくないタイプ。

「彼女はいつだって、
最後までファイターでした」
長く見ていただいていた獣医さんが、
最後にぽつりとつぶやかれました。

悲しくて、さみしくて、
心が悲鳴を上げて。
私の人生を短くしていいから
くまんさんにあげてほしいと、
何度も願いつつ。

でも、彼女自身がそんなことを望む
性格でないことも、
私が一番よく知っていたんです。
「しめっぽいのは嫌いです。
また会えるまで、笑って暮らすです」
そう言っているだろうと。

くまんさんの骨上げのとき、
葬儀所の方が
こんなことをおっしゃいました。

「私はこの仕事に就く前、
ずっと犬の栄養学の研究をしていました。
なので、どういう生活で
どんな骨になるかはよく知っています。
この子は小さなころから栄養十分に、
最期まで元気に暮らせたんですね。
15歳とは思えないきれいな骨です」と。

そう言われてなんだか、
くまんさんから生涯の通知表を
もらった気がしました。

大切な犬を亡くすのは、本当に悲しく、
つらい経験です。
でもくまんさんがくれたのは、
彼女のいない先の未来まで
照らしてくれるほどの幸せでした。

今は彼女からの縁で、
その子孫である宙と出会うことができ、
彼を通してまた
新たな縁が結ばれていっています。

くまんさんと2年ともに暮らした凜は、
一時先輩犬がいなくなった
意味が分からず
ストレスで急性胃炎を起こして
緊急入院しましたが、
今は後輩犬と仲良くやっています。
その後彼女もまた、くまんさんの遠縁で
あることも分かりました。

あまりのずる賢さに、亡くなるまで
中に小さなおじさんが入っているのではと、
念のため敬称をつけて呼んでいた
初代犬くまん「さん」でしたが、
亡くなって3年経った今も、
こうして私たちに楽しい思い出と毎日を
与えてくれています。

不思議とたくさんの人を惹きつけ、
愛された彼女だから、
きっと今頃虹の橋あたりで
人や犬を引き連れて
遊んでいることでしょう。


いずれまた、そちらで会おうね。
「どなたでしたっけ?」って言わないでね。

あと、くまんさんのクセだった
あの、駆け寄ってくるフリして
スルーして逃げるのも、ナシだからね。

「そんなの知らんです」だろうなあ…